上京パパの中学受験奮闘記(2022年受験)

地方から上京してきた父親が長男(現小4)の中学受験に右往左往するブログです

クラス落ちと努力の習慣化(8月21日)

夏期講習が始まっています。

 

我が家では前半に予定が詰まっていたため、夏期講習は後期のみ参加しました。

夏期講習用のCompassは前後期が1冊となっており、前期の内容が見れるのですが、問題等を見る限り、特に受講する必要はなかったように感じました。

 

そんな夏期講習ですが、始まる前に早稲アカより『クラス落ち』の連絡が来ました。

息子に伝えたところ、『一番下のクラスじゃなくてよかった!』となんともポジティブな反応で、落ち込むかと心配していた僕は拍子抜けでした。

クラスの上下でいちいち落ち込む必要はないのですが、少しぐらい口惜しがって欲しかったです。

こういう競争心の無さが、今後の受験生活でマイナスにならないか心配ではあります。

 

さて、夏期講習が始まってしまったため、夏休みの目標としてきた課題は一旦打ち止めとなりました。

結局、最低限の目標はなんとか終わらせましたが、努力目標であった漢字・慣用句の先取りや算数の先取りは手つかずのまま終了です。

 

ただ、親に『勉強しなさい』と促されながらではありますが、公文と40分×2回の勉強をほぼ毎日続けられたことは、称賛に値すると思います。

 

また、そばで勉強を見ている僕の心境にも少し変化がありました。

夏休み期間の勉強を通じて、予定どおり課題をこなしていくことよりも、日々決められた勉強を続けること自体が重要なのではないかと思うようになりました。

 

僕は中学受験は親に上手く誘導され、特に苦労も努力も認識しないまま、あまり競争が激しくない田舎の中堅私立に入学しましたが、その後、大学受験、資格試験、サラリーマン、起業と経験する中で、コツコツと日々努力を積み上げられる人間、そしてその努力を苦痛と思わず習慣化できている人間が勝ち残っていく姿を目の当たりにしてきました。

 

一部の飛びぬけた天才以外、大半の人間の能力に大きな差はないと思っています。ただ、現実には手に入れたいものを獲得できる人間とそうでない人間が存在します。その差は努力の習慣化から生じているのだと思っています。

 

僕が小学校3年生の時は塾なんて通わずに遊び回っていましたが、元教師であった母親は日々の生活の中でやるべきことはやるという習慣をつけておいてくれました。今振り返ると、その習慣こそが僕のその後の人生で、凡人ながらやりたい道でなんとか生き残ってこれた理由なのだと思います。

 

小3の息子に塾通いをさせることには、いまだ迷いと罪悪感があります。性格的能力的に中学受験に向いてないのではないかという不安もぬぐえません。

ただ、中学受験をするにせよしないにせよ、努力の習慣化は息子の人生には間違いなく有益であり、また彼が歩みたい人生を選び取るために必須であると信じています。

そして、小学校の6年間こそがその習慣を獲得する最高にして最後のチャンスだと思っています。

 

夏休みの勉強を通じてこのように考えるに至り、課題の完了や単元の習得そのものではなく、今は親に言われて渋々やっている勉強がいつか日々の習慣に変化することこそが、小3の今息子が四苦八苦しながら勉強していることの意義ではないかと思うようになりました。

長いようで短い夏休み、息子がどれだけ成長できたかはまだ分かりませんが、伴走する親としては少し吹っ切れたような気がしています。

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