公文について
中学受験関連の書籍では賛否両論がある公文式ですが、息子は遅ればせながら2年生の冬に公文デビューとなりました。
公文は中学受験のためというよりは、中高の勉強のために今からやらせたかったというのが本当のところです。
科目としても、算数と中学受験とは関係のない英語をやらせています。
僕自身は公文経験者ではないですが、公文については良い印象を持っています。
僕は地方の中高一貫の中堅私立に通っていたのですが、中高時代同級生で数学ができた連中は皆公文をやっていました。
公文の効能について深く研究した訳では全くありませんが、計算の基礎・処理能力が鍛えられるという漠然としたイメージを持っています。
特に、中高時代は小学生の時のように毎日の計算ドリル練習といった処理能力を鍛える機会が激減するため、反射的・反復的に算式を処理する訓練を毎日行う公文式は、日々の処理能力の鍛錬教材として威力を発揮するのではないかと思っています。
何より印象に残っているのが、その数学で優秀な同級生の『公文をやるのが毎朝の習慣になっているので、やらないと逆に気持ち悪い』というセリフです。歯磨きのように習慣化しむしろやらないことが苦痛な状態になれば、何のストレスや苦労もなく処理能力が鍛えられるのですから、「なんとも羨ましい限り」と計算演習が嫌いだった当時の僕は思ったものです。
ということで、公文に先取り学習を求めている訳では全くなく、ゆっくり地道に続けていければ良いと思っているのですが、とはいえ2年の冬という開始時期についてはもう少し早い方が良かったと考えています。
2年生の冬から始めると、小学校で既に学習済みの一桁の足し算や九九をしばらくやらされることになるため、子供としても既に簡単にできることをやらされていることになり、飽きてしまうようです。
簡単すぎる問題を延々とやらせると、低いモチベーションのままの流れ作業となってしまい、その結果つまらないケアレスミスを連発し、その直しで時間が取られ、さらにモチベーションが下がるという悪循環に陥る気がします。
実際、息子は最近ようやく学校で習っていない掛け算のひっ算(2桁×1桁の掛け算)まで進んだのですが、その前の九九(一桁×1桁の掛け算)のセクションよりも、明らかに正答率が上がりました。
我が家では小学校の授業で九九が始まる直前に市販のドリルで九九の練習をやったので、この時期に公文で九九を学習しておくのが理想でしたね。
本人の出来次第で進度が変わるので完全にコントロールは難しいとは思うのですが、小1の冬にはスタートするべきでした。
とはいえ、実は公文は3年生の終わりか4年生ぐらいから始めればいいと何の根拠もなく思っていたことからすると、少しはマシかもしれません。当時は、東京の中学受験がここまで大変であるという認識がなかったため、4年生から塾と公文を同時並行で始めればよいというとてつもなく甘い考えを持っていました。
当初の公文の想定開始時期が遅かったのは、そろばんをある程度まで仕上げてから公文を開始という流れを予定していたためなのですが、諸般の事情によりそろばんを断念し、早めに公文に切り替えたというのが本当のところです。
そろばんの失敗については、いずれ書きたいと思います。
しかし、こうして振り返ると、中学受験だけではなく、習い事や幼児学習についても場当たり的で無計画であることが浮き彫りになりますね。
ただ、過去を悔やんでも仕方がないので、今後に活かすべく反省すべきところは反省し、とはいえ必要以上に拘らずにむしろ早めに軌道修正できて良かったと前向きに考えていくしかないですね。